「ルパン三世」覚え書き(その2)
大塚康生


静と動のコントラスト

 第13世石川五右衛門は実は私の一番好きなキャラクターです。時代劇の好きな私にとっては石川五右衛門は時代劇への夢をみさせてくれる、という意味で特別な思い入れがあって、名前も五エ門と略すのが嫌いで、昔からわざわざ五右衛門とちゃんとした呼び方をしています。
 先祖は戦国時代、秀吉によって釜ゆでの刑に処せられた大泥棒(いろいろな説がある)石川五右衛門。ルパンたちと会うまでの師匠は伊賀忍者の頭である上忍の末裔らしき百地三太夫ということになっていて、原作で登場した時から深山幽谷で修行を積み、剣を磨いたことになっていますから、これだけで実に怪しい出自をもつ人物ということになりますが、どうみても泥棒らしくないところが気にいっています。

 練達の剣士然とした孤高の風格、鋭い眼光、居合いの名手、誇り高い武士として登場しますから、映画化にあたって様々な空想がふくらんできます。私は正直にいって石川五右衛門だけで幾つかのストーリーを考えたりして楽しんでいます。
 このキャラクターのルパン一行に不釣り合いな、不思議なたたずまいから私は自分なりの五右衛門像を頭に浮かべて描いていました。似たイメージの武士としては「七人の侍」の宮口精二(久蔵)がもっとも近いかもしれません。寡黙、端然とした立ち居振るまい。ものもいわずに剣をとって立ち上がって出て行き、解決して帰ってきて、また黙って座るような練達の武士としてです。加えて私にとっての五右衛門は無口で腕のいい仲間(このタイプ、日本人全体としても、アニメ界にも多い)を思わせる性格で、不思議な近親感をおぼえるのです。 髪は無官の武士や医者などに多かった総髪と呼ばれる現在的なカットで、闘う時には鉢巻きや襷(たすき)をするはずですが五右衛門には何故か似合いません。

・・・ということで、五右衛門には二つのキー・ポーズを想定していました。一つは黙って座っている姿に静けさと気品があること。第二に剣をとって闘う時のスピ−ド感と、斬ったあとすっと端正な姿勢に戻るタイミングのコントラストです。ついでですが、誇張していうとアニメーションにも流派みたいなものがあって、私の場合「大工原流」といってもいいかと思います。東映アニメ作画陣の創始者の一人である大工原章さんのスタイルにはどことなく歌舞伎や時代劇の見栄のポーズと、画面を縦に使う豪快な動きがあって、私はある時期強い影響を受けました。
 また、大工原さんはキャラクターでも動きでも「コントラスト」をたえず強調しておられたので、自然にその考え方を学んだものです。タイミングの妙味も大工原流の様式的なポーズも、ずっとあとになってこの私流の五右衛門のポーズにそこはかとなく生かされているように思えます。



逆手(さかて)抜刀術

 名刀「斬鉄剣」は無銘でしょうが、欲をいうと「備前長船」「正宗」「虎徹」などもっともらしい銘を入れたいところです。斬れないものはないというほどの切断力をもっていることになっていますから、何を斬るかは大問題です。その威力を見せようとニューヨークのビルをまるごと斬ってしまって、現実感を失ってしまったものもありましたが、刀で斬れる大きさは限りがありますから、斬るものはその作品で演出家が全力をあげて考えなければならないテーマの一つといっていいかもしれません。対象に意外性があれば一閃の早業で斬って局面を変えられるのですから、つい安易に使ってみたくなる得意技です。

 宮崎さんは「またつまらぬものを斬ってしまった」という名台詞を与えていますが、軽々しく斬っている話は五右衛門に失礼です。私にいわせるとそういう本屋さんと、考えもせずに描いてしまうアニメーターを斬ってほしい気分です。あっ、まずい!またつまらぬことを言ってしまった。取り消しま〜す。

 マニア的になって申しわけありませんが、彼の剣は何流かについて考えてみたこともあります。江戸時代全盛を極めた多くの流派のなかで、よく知られた柳生新陰流、小野派一刀流、神道無念流、示現流等々のうちどれが彼に似合うか・・・ということなのですが、本当にあった流派でサマになるのは示現流です。剣を右肩横上に直立させて、猿叫といわれる奇声を発しながら、敵に向かって突進するのが特徴ですから一度はやらせてみたい凄絶、華麗な動きです。ただしこれをやらせると五右衛門は薩摩隼人ということになってしまいます。眠狂四郎の円月殺法などの架空の剣法を考え出して五右衛門独自の流儀にするというのも面白いと思ったこともありました。

 しかし、斬鉄剣は白木の柄と鞘で一見仕込み杖のようですから、普通の武士とも思えないし、原作を深読みすれば彼が百地三太夫から伝授された剣は忍者の暗殺剣のはずです。これは様々な道具を駆使し、敵との正面からの対決をさける剣法ですから、キャラクターのイメージと合致しません。
 そこで私は勝手に座頭市の剣法(音のする方に向かって逆手で仕込み杖を抜く抜群の演技で、勝新太郎の考案したものといわれています)が五右衛門に似合うと仮定して時々使いました。ただし、逆手で剣を扱うのは本来短い刀で至近距離で闘うのに適してはいても、大上段に構えるなどの派手な演技には不向きですから滅多に使っていません。残念なことに腕のたつ剣士との決闘や、名刀をめぐる争奪戦といった五右衛門らしい剣技を存分に発揮することが出来、アニメーターとしても腕がふるえるまとまった話には出会う機会がありませんでした。




刃を下に向けて抜刀する時の動きを想像して描いたスケッチです。本番ですとこれから何回か直して仕上げます。一見リアルに見えますが、これは頭の中で想像して描いただけで、実写で殺陣(たて)の上手な役者さんに演技させてみるとまるで違うものです。いわば想像上のリアリズムですが、上手く出来れば実写のコピーよりも印象的な動きができます。


逆手で抜刀してみるとこうなるはずです。座頭市の演技を想像しながら描いてみましたが、切っ先が遠くに達しませんから、接近戦にしか使えないことがわかります。剣技としてではなく舞踊として考えるとなかなか格好いい動きですね。




描きにくい和服

 五右衛門を描く際の大問題はプロポーションと着物の表現です。私は五右衛門に少女漫画で流行っているような長い足をあてはめることには賛成出来ません。アニメーターによっては別に意識しないで五右衛門を外国人のようなプロポーションで描く人がいますが、その方が格好いいと思って自然に描いてしまうのでしょう。無国籍のルパン、不二子、次元はそれでいいし、銭形はれっきとした日本の公務員、警視庁警部ですがこれもまぁOKとしても、五右衛門だけはややクラシックな日本人らしくやや短足な方が似合うのではないか、と考えたいものです。

 武士は相撲などと同じように腰高なプロポーションでは何となく安定感を欠いてしまいます。へそよりも低い位置に帯をしめることで下腹をぐっと引き締めて背を伸ばして行動するのが武士の武士たる姿なのです。
 伝統的な日本人という意味で派手な表情を描くのも極力避けました。古来我々日本人は内面を隠す習慣をもっています。女性が笑う時に手で口を軽く覆う癖があるなどがその典型例ですが、武士ともなると喜怒哀楽を表出しないことが「たしなみ」として厳しくしつけられたため、五右衛門だけは他と際立って異なる表情演技をさせることが大切と考えたわけです。つまり「無表情」が彼の表情なのだと。

 五右衛門の一張羅は六尺褌、腹巻き、着流しに袴、素足に草履着用という江戸時代の武士の普段着です。袴は動きやすいように左右を少し持ち上げるようにして帯をしめ、剣術の道場などでも着用するもので、足さばきが楽なようになっているものです。股割りははじめのうちはつけないで描いていましたが、一寸誤るとプリーツつきのスカートのようになってしまい、逆に股割りを入れてシルエットをはっきりさせると、今度はまるで幅広のパンタロンのようになってしまって大慌てで直していました。

 また、普通は筒袖ですが、時には袂(たもと)をつけて描いています。これもシルエットをはっきりさせるためです。古い日本の着物はゆったりとしていて、体の線を隠すので、下手に描くと顔以外は着物と皺(しわ)のかたまりのようになってしまいます。現代風に身体のシルエットを見やすくしたいと思えば、ある程度の加工が必要だと感じながら描いたものです。
 時によって旅姿として普通の菅笠(カリオストロ)深編笠(タイムマシンに気をつけろ)などを着用していますが、完全に顔が隠れる虚無僧姿も考えたこともありました。モンキーさんの原作「一宿一飯」に博徒の旅姿でお馴染みの、縞の合羽に三度笠の無名のキャラクターが出てきますが、あれも何処かで一度五右衛門とすれ違わせたかったですね。双方黙って黙礼して通り過ぎるだけでも「絵」になります。
 キャラクターをこのように時代考証や有職故実で考えてみたり、調べたりする習慣は、実際に使うかどうかは別として実に楽しいものです。

 余談ですが、アニメーション制作にあたって日本とアメリカの大きな違いの一つにキャラクタ−表(モデル・シート)の作り方があります。アメリカでは各キャラクターのいろいろなポーズ、表情を沢山作ってアニメーターが描きやすいようにすることに時間と金をかけます。
 これに対して日本でははるかに少ないモデル・シートで間にあわせますから、個々のアニメーターは手探りで必要なポーズや表情を描くため、設定されたキャラクターから著しく離れたものになってしまい、作画監督がそれをせっせと修正する作業を繰り返すことになりますし、その作画監督自身もシリーズの終わり頃になってやっとキャラクターに完全に慣れるくらい、不完全燃焼のモデル・シートで船出しているのが実情です。
 私は五右衛門の着物、特に袴に関しては以上のようにかなりファジーな描き方をし、それがあとあとまで影響を残してしまっている点について反省しています。
 ほかは知りませんが、すくなくともアニメ界では着物の着付けなど見たことも関心をもったこともない若い人が中心になっていますから、ちゃんとした時代劇を作ろうと思えば一から勉強し直さなければなりません。しかしこれは楽しくやり甲斐のある課題で、私はまだ誰かが颯爽とした五右衛門の晴れ舞台を見せてくれるのではないか、という夢をもっています。(続く)


「ルパン三世覚え書き」その1はテレコムアニメーションのホームページに掲載されています。

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