茶屋主人のひとりごと
第一回


ある主婦の意外な収入

 妻が通っている革手芸教室で聞きこんできた話によると、知り合いのある主婦が高校生時代、東京の中野坂上に住んでいて、級友たちと近所にあった「Aプロ」というアニメ会社に時々行っては、いらなくなったセルや動画などを貰っていたという。
 彼女はその後、結婚して埼玉に移ったそうだが、ある日、実家に帰った時、物置きの整理を手伝っていて、その懐かしいセルを見つけて近所の主婦達に話したところ「それって売れるんじゃない」ということになり、彼女達3人で千駄ヶ谷で開かれた不要品のフリーマーケットに持ち込んでみた。問題はお値段で、主婦達は1枚500円から3000円まで、まちまちな評価を下したが、結局背景つきで3000円、セルだけなら半額ということにして、出来るだけ格好よさそうなのを選んでおそるおそる並べてみたらしい。
 ところが案に相違して並べた途端に通りかかった30代半ばの男性が見つけて、持って行った20枚をすべて買い取ってくれたうえ「まだ他にもありますか?」と聞かれた。彼女は翌月更に20枚を持参、それも同じ男性がすべて持って行ってくれたという。
 驚いたその奥さんは実家の物置きや押し入れをもう一度徹底的に調べてみたところ、あるわ、あるわ。あと376枚のセルと原画、動画が各々35カットずつが出てきた。すべてルパン・パイロットや旧ルパンのものである。彼女はこれ以上売ってしまうと何だか青春の一部を失ってしまうような気がして、その後、売るのをためらっているというが、熱心な旧ルパン・ファンからみればこういうのを垂涎の的というほかない。しかし、普通の感覚では昔タダでもらったものが忽ち数万円に化けたのは驚くべきことといえるだろう。
 その話は私の記憶とも合致する。旧ルパンは放映当時視聴率が低迷して23話で打ち切りになってしまったが、何故か早くから一部の女性に熱心なファンがいて、彼女達からファン・レターが届いたり、地元の杉並高校には女子高生ばかりのファン・クラブ(もどき)のようなグループが生まれ、彼女達は週末になるとセルをねだりにAプロにやってきていた。スタジオの脇にあった物置きにゴミ回収車が来るまでの間保管してあった大量の動画、セルの山からお目当てのセルを探すのだが、セルといっても手や足、車のロングやアップ、好きでないキャラクターなどを除くと、狙いはお好みのキャラクターや格好いい顔やポーズのセルだけで、そんなのは全体の1/3あるかないかであろう。探し出すだけでも時間がかかる。
 Aプロ側も一枚でも持って行ってくれれば有り難いわけで、制作の真田さん(故人)が立ち会って出来るだけ沢山運び出してもらっていた。ちゃんと躾けないと彼女達はあたり一面にセルをまき散らして足の踏み場もなくなってしまうのだ。選んだあとは真田さんがキチンと再整理させていた。
 ある時などはそのうちの誰かがオニイチャンに頼んで小型トラックで一挙に大量に運び出したこともあったから、30年たって埼玉の主婦のようなケースがあっておかしくはない。真田さんは優しい人で全国のファンからの依頼に応じて捨てるのが惜しいような名場面10枚ずつのセットを作って郵送料だけで送ってあげていたが、そのなかに京都府からの熱烈なルパン・ファンの女子高生がいて、多くの名場面のセルが彼女に渡っていたのを憶えている。
 ある日、古い原画を探しに私がその物置きに入ったところ、血眼でかき回している彼女達が「おじさん、これは私達のものだから、触らないで!」と詰め寄られたことがあった。どうやら近所のおじさんと間違えられたようだが、仮に描いた本人だといっても、そのことにはさして関心がなかった様子だった。つまりある時期からそこは彼女達の縄張りとなっていたのである。「すまん、すまん」といって逃げ出したが、その主婦もきっとそのうちの一人だったのだろう。2000円は一寸高いような気がするが、いまや高校生の親となった主婦としてはまぁ納得出来る値段かもしれない。よかった、よかったということにしておこう。



過ぎ去ったセルの時代

 近頃では古いセルは信じられないほどの価格で取り引きされていると聞くが、はじめは「ハーロック」や「戦艦大和」などの人気のある作品に集中していた。つづいて放映当時はさして知名度が高くなくても、あとになって人気が出てきたものや、どんな作品でも過去に宮崎さんが関わったものなどが高値がついているという。その時代の人気だけで市場価値が上下しているわけである。高値といっても熱心なコレクター数人の間での取り引きともいわれている。
 もとはといえばセルも動画もフイルム製作過程で生まれる副産物で、撮影してしまえば邪魔になるだけで狭いスタジオには置き場はない。東映の長篇時代からアトムまで、すべて東京湾の埋め立て地に直行していたのだが、どうやら市場価値があると思われはじめたのは私の知る範囲では「カリオストロ」の頃からで、それでも東京ムービーが平川町に小さなお店を出して売ってみたが、家賃と2人のアルバイト女性の人件費が出ず、間もなく閉鎖されたし、東映などでも似たような試みをやってみたが間もなく廃止になった。セルには一般的な市場価値はない。
 セル画はいわば狐が枯葉を小判に変えて人をだますようなものである。ゼロックス・マシンで転写された線は塗料に冒されて経年変化で薄くなってやがて消えてしまうし、保存には直射日光や湿気をさけ、上に重いものを載せないように注意するなど特別な取扱いが求められる。
 しかし、それもすべて過去のものになった。今では昔セルといわれたもの7500枚(テレビ・アニメ/テレコムの基準)はDLTディスク数枚に収まって保存されていて、必要に応じて何時でも取りだせるようになっている。現代のアニメーション・スタジオには絵の具の棚や、積み上げられたセルの袋の谷間をくぐるようにして職場に向かう風景はなくなって、すっきりとしている。
 テレコムの山本智子さんによると、セル時代の仕上げの一日の作業量は平均一人/一日/20枚だったものがデジタルになって平均一人/一日/120枚と6倍になっているそうで、一枚のセルに複雑な作業を重ねるジブリでさえ3〜4倍と飛躍的に向上している。セル時代に戻ることはあり得ないのだ。問題があるとすれば制作や原動画の部門は長時間労働が固定化しているのに比べて、仕上げだけは夕方5時になると誰もいなくなる状態で、同一初任給という矛盾がどこまで続くか等の問題であろう。



原画こそ貴重な遺産、教材

 こうしてセルへの転写(ハンド・トレスモゼロックスモスキャナー)着色(筆モデジタル・ペイント)、背景(筆モデジタル)撮影(撮影台モデジタル)によって作業効率と職場環境は飛躍的に向上したが、肝心の原画、動画の作業は(少なくとも日本では)旧態依然とした低能率の手作業に頼るしかないのが現状である。絵画がはたしてデジタル化出来るものだろうか?
 CGの利用や、手描きのソフトの開発によって頭の中で想像した演技を描き出す試みが行われてはいるものの、いまのところ鉛筆による手描きの魅力を超えるものはまだ実現されていない。いいかえるとCGはまだ写真の延長ではあっても「絵」の延長ではないのである。
 ものごとを正確に捉える写真術は、その出現によってギリシャ、ルネッサンス以来の西洋絵画の写実主義の伝統を立ち止まらせたが、同じ時期にヨーロッパの画家達は浮世絵を見て大きなショックを受けた。写真ではどう撮っても広重や北斎の見た独特の感性と誇張に満ちた風景にはならないのである。「絵」にはその人でなければ見ることの出来ない視点から生まれる別世界があり、巧拙もまた芸術の広がりの中に含まれるのである。個性の差は「クレヨンシンチャン」と「千と千尋」を共存させ、私達に芸術の広がりを楽しませてくれている。
 今日ではCGは手描きと併用されることによって、現実感を高めるツールとして急速に普及しはじめており、アメリカでは3次元の「ぬいぐるみ」なら高い精度でアニメートが可能になってきているが、いずれは「絵」にも新しい加工技術が開発されてこの分野にも革命が起るかもしれない。しかしそれまでは、アニメーションの原画と動画はセルと同じように、済んでしまえば無用の長物として今でも廃棄されて行く運命にある。
 フアンとしては線だけの絵である原画や動画にはさしたる興味は湧かないものとみえて、少なくともいまのところ欲しがる人はいないが、アニメーターを目指すものにとっては原画と動画にこそ学ぶべき多くのノウハウが濃縮ジュースのように含まれていて、優れたものはまたとない教材でもあり、これこそ保存に価する貴重な副産物であり、文化遺産といって過言ではない。ただし、私なりにいえば、学ぶのなら多くの絵を駆使して(演技)しているものを選ぶべきで、止めの絵だけではセル以下の価値しかないのがアニメーションの真実なのだ。



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